ホームページへ戻る メンバー過去のライブPhotoとセットリスト


1977年(第1期)〜1978年(第2期)
1978年冬〜1979年春(第3期)
1979年春〜1980年(第4期)
1980年春〜1984年(第5期)
1984年春〜1986年冬
1987年〜1989年1月12日(第6期)
2006年10月〜2007年5月(第7期)
2010年10月〜2011年5月(第8期その1)
2011年6月〜現在(第8期その2)


1977年(第1期)〜1978年(第2期)

グラム&ハードをめざしたコミックバンドだった。

アンギラスは1977年、当時大学2年生の大野圭(vo)と井槌秋王(g)を中心に、
秋の学園祭を目指してスタート。
メンバーはほかに、久貝尚之(b)、松本正好(kbd)、松井博志(ds)という布陣だった。
レパートリーはQueenやDeep Purpleが中心で、
化粧ギンギン,衣装はヒラヒラ、井槌と松本のテクニックと大野の絶叫ボーカルを武器に、
一躍大学のスターにのし上がった。
余勢を駆って、某女子大の学園祭にも乗り込んだが、
以後、両校の友好は途絶えたままとなっている。

1978年春、バンドの中で唯一人格的にまともだった松井が
我慢の限界に達してバンドを去り、
だまされて加入した窪田昭美を加え、バンドは早くも黄金期を迎える。
なんてったって、とびっきり可愛い女の子で、ドラムをたたくのだ。
バンドのアイ・キャッチ度は飛躍的に向上した。

レパートリーはQueenを中心に、Kate Bush、Sparksなどとさらに偏執度を増し、
化粧は濃くなり、衣装はハデになり、大野は扇子を持って踊っていた。
バブルに先駆けること、10年以上前の出来事である。
照明担当の老田道夫のアイデアでブラックライトなどが効果的に使われ、
そのビジュアル度は頂点に達した。
バンドなのかサーカスなのか、わからない感もあったが、
音のほうは井槌と松本がしっかり支えていた…と本人たちは思っていた。

しかし、TV朝日の大学対抗番組に出演した際、
ひとみ元基(のちVow Wow)を擁する某大学のバンドにコテンパンに負け、
バンドの方向性は大いに疑問視された。



1978年冬〜1979年春(第3期)

ストロング・スタイルへの転換を試みるコミックバンド。

バンドは窪田の脱退を受け、当時まだ1年生だった斎藤俊行に目をつけた。
180cmの長身にロバート・プラントのような長髪をなびかせながら振り下ろすスティックは、
しばしばバスタムの皮を突き破っていた。

アンギラスに入れば3年生のオネーサマを紹介すると因果を含められた斎藤は、
嬉々としてバンドに加入した。運の尽きだった。

パワーの斎藤を迎えたアンギラスは大きく変わった。
大野も井槌もフリルのブラウスを捨て、黒系統の服に替えた。
化粧もやめた。肌荒れがひどくなったからだけではない。
レパートリーも、Queenのハードな曲、Rolly Gallagher、Wishbone Ash等、
ソリッドなロックが多くなっていった。

結成したときに始めてベースを手にした久貝のうでもメキメキ上達し、
めいっぱいドライブするようになり、
専属ミキサーに岩下穣を迎え、バンドの力量はさらにアップした。
いくつものステージをこなし、バンドは第2の黄金期を迎えた。

しかし、1979年3月、松本は大学卒業とともに就職してバンドを離れ、
久貝も引退を宣言、バンドは休止状態に陥った。



1979年春〜1980年(第4期)

はたして音楽性の幅は広がったのか?

状況を変えたのは、まったくの偶然からだった。
それまでも照明その他の部分でアンギラスとかかわっていた老田(b)が
自分のバンドが空中分解したのを期に、
同じく自分のバンドが解散した上郡山真人(kbd)と
プログレ・バンドを結成することになり、
大野をドラマーとして誘ったのだ。

しかし、このバンドは人手不足がたたって、結局大野はボーカルに逆戻り。
ドラマーには斎藤を呼び戻し、さらに、逃げまわる井槌を強姦同然に引きずりこみ、
一夜にしてアンギラスになってしまった。1979年7月のことである。

アンギラスの音楽性は、老田と上郡山の二人が加入したことで
微妙に変化し始める。
二人とも、プログレが好きなのだ。
そこで、選曲も従来のグラム&ハードとプログレのちょうど中間の地点、
すなわち、Kate BushやRoxy Music、
Wishbone Ashなどといったアーティストの曲が増えていくことになる。

ここでバンドは、大きな危機に直面する。卒論である。
メンバーのうち3人は、まがりなりにも4年生。
しかも、そこに就職活動という難問が追い討ちをかけ、
バンドの存続はさらに危ういものとなった。

だが1979年2月27日、卒論はついに撃退され、アンギラスが復活した。
「ザ・タイトルマッチ」と称するするコンサートでトリをつとめたアンギラスは、
えんえん90分近いステージを披露、あきれて帰るお客さんを尻目に、
学生時代最後の方向を夜空に響き渡らせたのであった。



1980年春〜1984年(第5期)

オリジナルに挑み、敗れ去った日々

月日は流れ、1982年となり、就職して田舎暮らしに辟易していた老田と
同じく就職先の田舎を出るアテもない大野は、
井槌と斎藤に活動再開を呼びかけた。
田舎から東京へ通うメンバー2人を抱えるバンドは、
月一回顔を合わせられればいいほうで、
時には3ヶ月も練習をしないこともあった。

そうこうするうちに大野は会社の福引に当たり、
1983年秋から3年間、渡米することとなった。
なんとか大野の渡米前に一発、と検討はしてみたものの、
出張の多い井槌、転職したばかりの老田、進学をもくろむ斎藤、
さらに渡米前に見合いを繰り返す大野にその余裕はなかった。

一人機上の人となった大野を見送り、3人の結束は一気に高まった。
老田の書きためたオリジナル曲をやろうということで、
斎藤の大学時代の同級生、島田ランにボーカルを頼み、
1984年4月29日、5年ぶりのステージに立つ。
だが、ステージから降りた3人は、
二度とバンドをやることはないだろうと思った。



1984年春〜1986年冬

冬眠

井槌は1985年に会社で知り合った若〜い娘を嫁にし、1986年冬にはパパになった。
斎藤は大学院の博士課程に進学し、実験に明け暮れながらも、
1986年春、大学の同級生と結婚した。
老田は転職を繰り返した後、1986年、自らの会社を設立した。
大野は、アメリカのでこの世の極楽を見ていた。



1987年〜1989年1月12日(第6期)

転勤と戦うサラリーマン・バンドの明日はどっちだ?

大野が帰国し、バンドは活動を再開した。
みんな、うやりたくてうずうずしていたのだ。
しかし実際の状況は5年前とあまり変わりなく、
仕事に追われ、生活に追われる毎日だった。

選曲に関しては、「かねてより自分が知っている曲あること」という
凄まじい要求が各メンバーから出た。

5人目のメンバーを物色したが、キョービの若いモンはなかなかだまされず、
結局、音を厚くするために、大野がギターを手にすることになった。

QueenやらRolly Gallagherやらナツメロをやっているうちに、
結局4人とも好きなWishbone Ashばかりをやるようになっていった。
「もう少し幅を広げなくては」などと考えているうちに、
また大野が福引に当たって渡米することになってしまった。
今度は、わずか3ヶ月のShort Noticeであった。見合いをするヒマもない。
大野の渡米は1月末。
当初、3月ごろと考えていたステージを2ヶ月前倒しして行うことになったが、
そこに青天の霹靂、昭和天皇の崩御が重なる。
噂される宮内庁方面からのクレームにひるんでいるヒマはない。
1989年1月21日、時節柄の自粛により静まり返る高円寺の静寂を
アンギラスの咆哮が突き破った。



2006年10月〜2007年5月(第7期)

18年ぶりの復活

高円寺次郎吉でのステージを最後に
大野は第2期アンギラスの“女神”窪田昭美を妻に迎え、渡米。
それから、17年の歳月が流れた。

そんな2006年の年末。
とある宴会で何か演奏しようと言い出した井槌が大野を誘った。
ちょうど息子の保育園のパパママ友達を集めたライブをやろうと目論んでいた
大野が老田を誘い、
老田が高校時代の友人でプログレ・バンド仲間の中藪正己(ds)を誘った。
演奏されたのはたった2曲だったが、
最初の音が出た瞬間に、4人の体に電流が流れ血潮が奔流した。
さらに大学の同級生、吉川邦夫(kbd, b, cello)を迎え練習が再開された。
大野が北京に赴任することが決まり、年明けから練習を本格化したが、
最終局面になって大野がどこやら怪しいところからつれてきた
安田真実子をバック・コーラス&トランペットに加えた。

そして2007年4月28日、程よく年を取った友人たちの前に、
完全におやじバンドと化したアンギラスが登場した。
それは、かつてグラム&ハードをめざした同じバンドとは思えないほどの
悲惨な変貌ぶりではあった。
しかし、セットリストには昔からのおなじみのWishbone Ashに加え、
Led Zeppelin、Jethro Tullが並ぶ。
かなりの難曲ばかりだが、ステージ力(=ごまかし方)には
それなりの向上が伺えた。こういうのを「年の功」というのであろうか。



2010年10月〜2011年5月(第8期その1)

後世に汚名を残すのか?

2007年4月、18年ぶりのライブを敢行した後、大野は予定どおり北京に転勤し、
メンバーたちはそれぞれのリーマン・ショックを迎えた。
静寂と音楽的衰退が支配するなか、井槌だけは黙々と家でギターを弾いていた。
2009年秋、帰国した大野を迎え、一度スタジオに集まった。
キーボードの吉川は、もう活動がかなわず参加できなかった。
4人で Wishbone Ash や Zeppelin をやった。
腕が一番なまっていたのは、
ギターを北京に持って行ったのに全く触っていなかった大野だったが、
かつての充実感はそこにはなかった。雲散霧消した。
やがて2010年も後半に入り、定年を間近に控えた大野は、
また転勤になるのではないかとの恐れを強くした。
大野の転勤前には、バンドは必ずライブをやってきた。
もう一度やろうと思った大野は
最大の難問のキーボード不在に画期的解決案を思いついた。
かつて日本で「Queen をカラオケで歌う会」というコミュニティで知り合った
佐久間政吾(29歳)である。
しかも佐久間は大学時代に北京に一年留学しており、中国語ができて、
大野が北京滞在中に現地で一緒に遊んだ仲。中華ロックができる!
そして佐久間はやってきた。
そうして2011年春を目指して、アンギラスは再び5人で練習を開始した。
最大の変化は、
Queen 大好きピアニスト(かつ歌える、踊れる!)佐久間政吾の加入による
大幅な Queen 楽曲の復活である。
アンギラスはもともと今を去ること34年前、
井槌の「Queen IIのサイド・ブラックをやりたい」という願望を満たすがために
結成されたようなバンドである。(第1期〜第2期参照)
今回、それが復活した。
佐久間のソロ・パートも含め、大々的な Queen レパートリーの拡大。
それが、2011年版アンギラスの最大の特徴である。
もう一点は、日本初(?)の中華ロック・バンドの誕生だ。
大野が北京在住中に飲み友達&大親友になった
信樂團(しん・ゆえたん)という人気ロック・バンドの曲を中心に、
今回初めてレパートリーに取り入れた。
そして前回のレパートリーからは、 Wishbone Ash と Led Zeppelin の名曲群が残った。
そして5月8日、アンギラスは4年前と同じステージで雄叫びを上げた。
東日本大震災の影響で電力不足の心配もささやかれるなか、
アンギラスのライブは、はっきり言って電気のムダ使いである。
東京大停電の引き金になって後世に汚名を残さなかったことだけが、
せめてもの救いと言わねばならない。



2011年6月〜現在(第8期その2)

35年間の迷走の果てに

2011年5月に4年ぶりのライブを終え、その出来にもかかわらず、
メンバーたちの意欲は向上した。
着席で60席ほどの会場に90名を超えるお客様を迎え、
次回はもっと大きなところで
お客様にご迷惑をおかけしないようにしなくてはいけない、と妄想は膨らんだ。

レパートリーにも、大きな変化があった。
中華、Queen、Wishbone Ash、Led Zeppelin の中から、
Queenを外した。
キーボードの佐久間が
Queen だけを演る Queer というバンドのリード・ボーカルになったので、
同じ事をやってもしょうがないからだ。
大野はジャズイものをやりたいと主張したが受け入れられず、
老田、中藪はプログレを主張したが選曲が折り合わず、
結局、独自性を追求すると中華しかない、という強引な図式の中で
中華が主体となっていった。

こうしたなかで、2011年12月にICUの先輩の大沢氏
(プログレな豪華ディナーショー劇場 "Tribute to Love Generation"の発案・プロデューサーである)の
年末イベントに参加し、
中華5曲、Zep2曲 計7曲を演奏した。
出演したバンドの中でいちばん浮いていたので、
今年はもう呼ばれないと思う。

やはり我々は、複数バンドが出演するイベント形式では無理がある。
ワンマンでやらないと……との最初からわかっていた結論を再確認し、
大沢氏の紹介で3月に「晴れたら空に豆まいて」で単独ライブをやることにした。
もうひとつ、イベント形式でやれない理由は、
機材を持ち込みすぎるからである。
ベースペダルとその音源用シンセ、3台のキーボード、
ドラの音のためだけのシンドラ、弱体なコーラスを機械力で補うボコーダー。
セッティングに時間がかかるうえ、
シンプルな2ギターの4ピースバンドが主体となっている日本の(世界もか?)ロック界において、
時代錯誤なことおびただしい。
が、しかし、これらがないと曲がまとまらないのだ、下手だから。 

というわけで、着席キャパ120人と自称する「晴れたら空に豆まいて」で
アンギラス結成35周年ライブを敢行するつもりになった。
しかし、同じメンバーで2年も続けてライブができるなんて、
アンギラス史上初めてではないか。
内容は中華が半分、
多忙を極める佐久間の負担の軽い Wishbone Ash や Led Zeppelin が半分てな感じを予定している。
全部で多分2時間ぐらい要するのではないかと懸念しているが、
曲数を減らして完成度を上げようという声は
バンド内では出ていない。
万障お繰り合わせの上、ご来場よろしくお願い申し上げまするのだ。


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